セリフぺディア

信用経済に信用スコアにこれからの価値を見つけていく言葉

ここですわろう。の、モソケソハウス

けっこう前にLINEスタンプをつくったのだけれど、なんか自分のスタンプあったら楽しいなぁみたいな。

 

ここですわろう。っていうやつです。

あとは、ペパカプか。2つ作ったりして楽しかったのだけど。

そーゆーのを、ちゃんと、おうち作ってあげて、出入りして育ててあげなきゃなぁと思ったりもする。

 

http://www.mosokeso.pictures

 

せっかくかわいいのだから。

季節のワードに合わせて、

動いていく日常。ここですわろう。

 

念願のワードプレス。

いつか触ってみたいなぁって思って、

amazonのクラウド上で、ドメインシュワワして、作ってみた。英語たくさんでパニックでしたが、楽しくじぶんのページができました。嬉し!

 

夏!

 

ここで、ここで座ればそれでいいわけですよねー。そんな日常が大事なんです。

 

 

そういえば、サングリア。

めっちゃうまかった、カルディ。

最近、けっこーたくさんの駅にあって入り口でコーヒー配ってるのすき。

 

サングリアと、結婚式の引出物でもらったパンフレット選択希望選手、冷凍パスタwith手作り餃子。笑

 

お酒進んで、お家でひょろろ。

カルディのオンラインでしかないみたいです。

だれかあげるのかしら。

 

カルディコーヒーファーム 小田急ハルク店

食べログ カルディコーヒーファーム 小田急ハルク店

かるカルディ。なんとなく新宿。

新宿は、南口のキウイジュースだけどね。



 

 

駅の縦長の動画広告デジタルサイネージをペタペタ触ってるこどもをみてると、ああ、これがネイティブかって思う

1920✕1080の、普通のテレビとかの動画をそのまま縦にしたデジタルサイネージ。

 

そんなのをぺたぺたしたい気持ち、こどもにはあるんだろうなぁ。

マックのタッチできるやつといえば、

ipadとかですが、

結構前にこんなんが発売されていたのです。

 

store.modbook.com

 

もっどぶっく。

あってますかね?笑

 

僕は読めません。

 

The most powerful MAC OS X tablet in the world

 

って書いてあります。

スペックもわりと良さげで

i7 で 2.9GHz

 

しかもカスタマイズで1TBにできたり、

16GBメモリつめたり。

優秀なタブレットです。

ネットの情報によりますと、元アップルの人がてがけたそうです。

 

これで、

OSX片手に(13.3inch)由比ヶ浜で、

Hello,海開き!できちゃいますね。

あの海の家で飲む、モヒートがうまいんだ。

 

そして、あまった手で(13.3inch)

かき氷!!!

 

あの冷たさには、

どこか温もりがある。

 

 

海のふた (中公文庫)

海のふた (中公文庫)

 

 

 

よしもとばななさん。

大好きです。

よく新聞で読んでました。

 

やっぱり海なんですね。

OSXもって。

 

駅でデジタルサイネージ触ってるこどもみたら、

海に行きましょう。

今年の夏は決まりです。

OSXもって。

 

夏ですね。

空気の重さが、けだるさが、

心地いいですね。

 

 

 

 

あつい。

 

 

 

 

 

memento377.hatenablog.com

 

 

交差点の真ん中で着替えるわりと寒い日曜日

色、色、色。

 

どの線を基準に世界をみたらいいかわからなくなる、表参道の景色の中で。

一つ二つの会話とすれ違い、

例えば楽しげな顔はやっぱり気持ちを明るくするなぁと、思いながら歩く。

 

見たことないゼリーを買うことに対する安心感と不信感。

何を信じて買っているのか、わからないけど、

そこに前後の空間があって、自分の前にも誰かが買ってたんだろうな。

っていう、安心感と、

自分の後ろに並ぶであろう、今後のお店の状況を想像しながら。

となると、そこにいるのは、信用の証でもある。

ある意味ブロックチェーン的発想ではある。

 

一つの商品を手に取るには、たくさんの人の介入があって、

もちろんたくさんの商品も並んでいるのだけど、

明日もきっと同じものがあるし、

明る火曜日に、その商品が陳列棚から消えているのをしったとき。そして、こっそりちょっとダケ名前が変わってまたまた上から2段目くらいにひょっこり帰ってきたときなど、

なんとのいえない、久しぶり感。がある。

そこで、リアクションをとりたい。でも、きっと1人の自分はそこでリアクションをとれない。

アクションを起こすことはわりと用意な気がするが、

リアクションを1人で、夜に取るのは中々至難の技である。

 

だから寄り道をする。

それか、家に生物を置く。

 

人間に近づけるロボットじゃなくて、犬に近づけるロボットがあったらいいのに。

 

寒い。

 

11月がはじまりました。

 

 

鍋の季節。

白菜がどこにも売ってない。

そんなバカな。何回幹を横断しても、首を傾けても現れることないフォルムよりスジ〜っ感じの白く気泡だらけのような香り。白菜。

 

生でカジル週間は、都電育ちの僕にはないけど、甘いという噂は西のほうに住んでいる、お餅おばさんから毎年聞いている。もちろん噂っぽく。お餅おばさんは、白菜で餅を挟んで海苔で巻く、鏑木焼きがとても上手で、しかも食べられない。白菜の繊維の方向がどうも苦手でっていう。それは、食べ始めの一口目の向きを変えるとかそーゆーことではないらしいから、いつもお餅おばちゃんのまわりの人たちだけ食べる。お餅おばちゃんは、焦げ茶色のきな粉に餅をちょんちょんしながら舐める。舐めて、飲む、舐めて飲む。あんまり、よくないよ?って言ってもどへへへ。って飲む。

なんで焦げ茶色のなのって聞くと、これが本当のきな粉なんだよって教えてくれる。

 

本当っていみがわからないのか、本当のきな粉をしらないのか。お餅おばちゃんといるときは、たいてい僕は暇だから、そんな言葉をひっくり返したり、伸ばしてみたり、噛んでみたりして、味気ない、いや、もともと味なんて期待はしていないけど、もしかしたら、時間が少し多めに進んでくれるんじゃないかってチラチラ時計をみながら、ふけっていたりする。

 

今年は、とてもいい香りがした。

たぶん、あの子なのだろう。

少し離れているけど、それでも、きっといい香りだ。それだけは、なぜか伝わってきて、鼻の先がジンジンする。

 

 

閉じては開く翌日までの動線。

探し物をしている感じ。いつも何かを探していて、ずっと探していて、たしかにそんな気持ちをずっと抱えながら毎日を生きているなぁって感じはずっとあるのかもしれない。

多分、どうしても答えを求めたくなってしまうのだろうと思う。答えがあることになれてしまったというか、るるーるーってところまでしか、答えってのはたどりつかないんだと思うけど、

叫んだり、るるるーって言ってみたり、走り出しても、それでも見つからない言葉なのか、存在なのか、誰かの名前なのか、それははっきりみえないけれど、それでも一生懸命さがすんだ。

 

毎日を乗る電車。電車乗らない日なんてほとんどないんじゃないか、仕事の日はもちろん毎日、仕事ない日だって、だいたい乗ってる、ってことは、いつもと同じ電車にのっていれば、いや、いつもと同じ電車に乗る機会にたくさん恵まれている人は、だいたいいつも同じメンバーで電車にのっているはずなのだ。そうか?

 

そこまで一生懸命みていないのは、事実、でも、じゃあ、

やっぱりみんな入れ替わっているように見えます。はい。

きっと入れ替わってる。

毎日、違うメンバーで違う空気感で、電車にのっている、

不思議なもので、なんであんなに毎日変わるんだろうね、電車の中って。同じ時間の同じ車両なのに。天気より、毎日変わるよ。そう考えると、天気って案外安定してるのね、見直しちゃった。

 

行き先みたく、はっきりしていることは案外少ない。

どこからきて、どこにいくのか。

一日の出来事として考えれば結構簡単な、問いですが、

やっぱりなにかに隠れてしまうこの感じ。そして、気づかぬふりなのか、老後の心配なのか、将来の不安なのか、手に入らない、けど、手から離れない、様々な不安。

 

どうしても叫びたい、そんな気持ちをぶつける、そこにはきっと時間が存在しているんだと思う。

時間に対して、人間は太刀打ちできない感じが続いている。時間という絶対的物差しにたいして、それを測りにあーでもこーでも、アインシュタインさんは一度置いといて、

きっと、あらがえない、当分、僕が生まれて生き返ってを7回繰り返したくらいじゃ、

あらがえない時間との勝負が、どこかにあるんだと思います。

 見つけにくいものですか。カバンの中も、あんなこんなもるるーるー。

非常に普遍的な問いだなと感じました。

 

そして、結局見つけた人はこの世にいないんだろうなと。

だって、なにもないんだもの、

いつの時間も、定点で、世の中がみれないわけで、

そうなると、そりゃ毎回違うところから世界をみていて、みるだけじゃたらないかも、

叫んだりも含め、

そこには答えにたどり着くルートはございません。

 

だから、いつも鎌倉からの海への道は、

答えに近づいている気がしてしまうのだろう。

 

今年は2回しか行けなかったなo(`ω´ )o

ハロウィン東京02

そんなにやりたいわけじゃなかったけど、じゃあ、なにがやりたいと言われてこまるこれからのこと。どこにもいけないし、でもじゃあ、マメに探してます私、みたいな顔も気持ちわるいなぁって感じる。言い訳ばっかりだけど、そうやって埋めていくしかないなぁとも思う。

いつもどおりだと、家を出た。会社は、有楽町にある大きなビルだから、丸ノ内線でいくとして、そこまでの行き方がうまく思い出せない。

丸ノ内線という、言葉だけはすんなり出てくるのに、じゃあそこがどこにあるのか、が、よくわからない。ここにあったはずだ、なら、まだよかった。でも、ここにあるはずなのに。すら、それすら、思い出せない。

振り返るべきなのか。

何のために、電車の乗り場所を探しているのか。

むしろ、探せてない。

どちらに向かっていいのかわからない、歩き出せない。

家のドアすらあけられない、

そこに地図がないから。

 

となると、自分が今までのいる場所すらも怪しくなってくる。

ここは本当に一日のスタートラインとして、正解なのであろうか。

ドアがあけられないのは、本当はドアの開け方すらもわからないのではないか。

昨日はどうだったんだ。

昨日はどうやって生きてたんだ。

思い出せない。

喪失したのか。

いや、昨日はどうやって生きたかなんて、人生で思い出そうとしたことがないから、

そこにたいして思い出せないのは、ある程度のしかたがないんではないかと思わなくもない。

 

そういうことでいいかしら、

よくないです、

よくないでしょうか、。

風が吹いてきました?

いえ、まったくかんじません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハロウィン東京

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曲がっているシールを、貼るタイミングで呼んでもらえればどうにかまっすぐ貼る方法を伝えるのだが、そんなタイミングで呼ばれるわけないし、じゃー車で30分です道が混んでなれば、あ、ごめんなさい車持ってないんですよ、免許はゴールドなんですけどね笑 じゃー、まあ最寄駅からわりと歩きますよ、わかりやすいですけど本当とにかくまっすぐなんで、はい、つくばは乗ったことないのでわりと楽しみですよ、あ、でもちょっと別件入っちゃったんで今回のシール的な件はぼく的にはスルーでもいいかなぁ。みたいな会話の不毛さと、あるある系の笑を、うまく噛み舐めして、ホームボタンを押す感じでさっとしまう今日の一コマ。

ユーチューブのCMみたいに、なんかどうにかねばってやろうなんて魂胆もなく、さらっと閉じるみんなの瞳は、ある意味今の時代を映すというのよりは、流すって感じで、あーやっぱり時代っていうのは、せせらぎなんだなぁって空気を飲み込む道玄坂の登り。

 

1つのタマゴが届いたのは、

たしか空が緑色だった日。なんでだろう、お盆のせいかなぁと思ったけど、空が緑色だった。もしかしたら、クーラー苦手なんすよなんて言って夜中暑くて眠れなかったバイトの同僚が、計算があわないんだけど、そのままの言葉を信じれば37時間くらいクーラーつけた途端寝てしまって、バイト始まる時間にこなくて、いつも帰るのに結局、まあいけないことなんですけど、そのまま16時間くらいぶっ続けでバイトして、うん、ファーストフード店ね。そこで、変に夜中チカチカする蛍光灯をぼーっとみたりしながら休憩とれねえよって誰にも見えないところでうまく休んで、そのまま仕事終わりの勢いでコンビニいって、なんか微妙な仲間意識とともにクソみたい接客だからブチ切れてやろうかって感じで、店員の目の前で缶ビール、いや、350の発泡酒を開けた一気飲みして自動ドア開くの遅えんだよ!とか、啖呵のつもりでボソッと言って、職場がある地下の一連のスペースから、浮かび上がった僕の目にはキツイキツイ太陽光。

何時間起きたら、こんな眩しい午前中を浴びれますか、そうですね、夕勤と夜勤をたして少しだべったくらいです。

 

緑色の空だ。

 

クシャられてたまるか

ひとつのなにかを中心にして、それを囲むようにいるペパカプ、ストロルン(ストロー)

ポンジ(スポンジ)。手袋(ビニル)。

 

◯とりあえず始まる

彼らの中央には、コンパクトなビデオカメラ。

ペパカプ「たとえば、名前で呼んであげるとかはどうだろうか」

ストロルン「あーこみ上げる。それこみ上げる」

ポンジ「最近のカメラはこれまでの流れを調べたりするとものすごく小さくなっているというか、すで

    に形として残しておくのはある意味説得力のためだけなのか、そうじゃないのか」

手袋「あんまり、簡易的になっても温もりを感じられなくなっちゃうからね。ある程度のフォミュラン

    は必要だと感じます」

ペパカプ「進む必要は非常にあるとおもうけれども、鬼を退治するって映画には鬼とか必要だしな」

ストロルン「俺らどうせ回収5分の一番最初に食べられちゃう、麦わら帽子の釣り糸たらしてるヒゲの

    オッさんポジションだよ」

 

◯きっと目標

ペパカプ「何かを残すことは俺には可能なのか」

ストロルン「私の身体の中を通っていった彼らの事は覚えておきたい」

    バーベキュー会場。散らかって重なっている紙コップとストロー。

ペパカプ「とめどねえなぁ。江戸弁の俺には、ったー短えことも腹くそがすっぽりびしゃっちまった

   ぜ」

ストロルン「でも今日のペパカプ、すごい嬉しそうだった」

ペパカプ「こっぷでい。結局使われた時が一番嬉しいのかもなぁ。終わりを意識するからな、そこに迎

   えるからな。毎日の紙コップに重なって、挟まれて同じ話してるのもいいきなもんだが、俺の性には

   あわねえんだよ」

ストロルン「ラストスパット、泣きつかれるまで私はズズッていられたい」

ペパカプ「……映画とりてえなぁ」

 

◯そこに現れる、真っ赤な鬼とか

万能感をつくりだす、クリエイティブな生活

自分のことしか話せない人がいる。

あまり好きではないけれど、案外そーゆー人はモテる。しかも、意外と面白かったり。

主語が全部自分なわけだけど、

しゃべり出した子供とかもそーゆー話し方をする。僕はみてみてーって人に甘えることがあるけど、きっと何かを喋り続ける人も同じ心境な気がする。なんとなく、視線というか、なんというか。

リアクションというのは、どんなときでも嬉しい。

 

猫のリアクションは人間にとってかなり最高なのだろうとおもう。ただ、僕は犬派なので、ネコのリアクションが最高ならイヌのリアクションも最高だとうぉーっ!と言いたい。

 

リアクションがない、コミュニケーションほど凹むことはないわけで、例えばスキンシップを含むコミュニケーションでもリアクションがとても大事だと感じる、感じる。

リアクションがとても上手なのは、テレビにでてるヒーローの中から言えば木村拓哉だと思う。最近のドラマに関しては、どうしても動的人物を演じたい。という気持ちは非常にわかるのだけど、木村拓哉の一番の魅力は、受身のリアクションなわけで、

天真爛漫な松たか子みたいな、強気な山口智子みたいな、そんな人にたいしての、リアクションであったり、そんな彼にグッドラック。

 

でも、リアクションブームは過ぎ去ったのか、いやそんなことはないのだけど、

でもどー考えたって、ピン芸人はアクション派だし、スマホのゲームのキャラクターだって動的じゃなきゃ進まないし。

だれかが、どうにか前に進めてくれて、

自分は若手芸人のことを審査する、

中堅芸人のポジションの如く。

 

そこはかとない、不安というよりも、

全面的な幸福。否、降伏。

 

いままでは、テレビって箱が常に話しかけてくれて、自分は常に受け身でいればよかったのだけど、なんか、ネットって世界が登場して、双方向だ。とか、動的に自分で情報をつかみにいく。とか、てか。参加型だよな。とかいろいろあるけど、なんやかんや、受け身でいる事ができるのであれば、生き様というショウバイを、している!ユーチューバーなどをみていたいわけで。

 

ミクチャをみて、あーなるほど。と、ストレートに吸収できない歳では、あるけど、

なんとなく何かを作って発表したい衝動に関してはすごくわかるし、そーゆー気持ちは誰にでもあって、いわゆる表現。表現はみんなしたくて、本当の自分を出したいじゃないけれど、

きっとそれは普通のことで。

それが、いま非常に楽になっていて。

同じプリセット使っていても、ディズニーの同じ場所で同じ背景の写真を撮ろうとも、それは、自分のことしかしゃべらない人間の目線と同じで、自分という個性のお陰で、他人とかぶるなんてことはなく。

そのままの上手なのは綺麗な記憶を書き加える事ができたりするし、そこにみんなの目線なのかいいねなのか。承認欲求という言葉はあまり好きじゃないけど、結局そこにいくのか。

食欲、性欲、睡眠欲。なんてものに、ミテミテ欲が入ってくるわけだけど、いろんなものが簡単な方向に代替されてきているけれど、

認めてほしいという欲求も多分、かなり得やすいところに転がっているんだと思う。

 

それと、もしかしたら、優先順位的に、性欲とか食欲より勝る場合が増えてるのかも。

頭の中の世界で、目の前の世界が成り立ってくるのであれば、

身体から欲する欲求より、頭から欲する欲求の方がある意味本能なのではないであろうかんーどうでしょう。

 

 

 

おはようございます。

iPadはとても素敵だ。きっとそうだ。

そういうことにしよう。

なにはともわれい。何かをかくことによってうまれる、どことなくかしこしされなる、あまりある、様式美。いいこともやなことも、全て泣き出しそうな夜をかかえて、みんな声を出さないという選択肢だったり。

自分のやりたいことが、何かを一生懸命描きながら、それこそはきっとはっきりと、舞屋、毎夜、いいことも悪いことも、泣き言ひとつ言わずに濡れ煎餅みたい、

現れるのをまつばかりである。

ひほうぶん批評とか大事だよね、それでいいと思う。そうしたほうがいいと思う。

今日の、今日における、今日の為の、今日だからこそ、今日しかない、今日の思いを。